たたみの松本誕生秘話
松本製畳の創業者、松本西雄。
大正13年8月25日 生まれ。

若干12歳で東京浅草の伯父の燃料店に働きに出る。 軍隊に応召され、終戦の昭和20年には 「船艦とね」に乗船、爆撃を受け沈没するも自力で岸まで泳ぎ着き九死に一生を得た。そんな西雄の口癖は、「一度は死んだ身!あの時に比べたらたいしたことないわい」。真っ正直で 負けず嫌いで、一度言い出したら反対を押し切ってでも、やってみないと気が済まない性格だった。そのチャレンジ精神で誕生したのが、妻の姉に借りた4万円を元手に機械を購入して、藁縄の製造を始めた松本商店だ。

昭和37年のことである。やがて「畳床」を製造販売するようになり、松本製畳所と名前を変え、昭和六十二年に有限会社松本製畳となった。

左代子 そんな西雄と一緒に力仕事も厭わなかったのが妻、左代子。
大正14年11月17日生まれ。

男達に混ざっての木材運びはいくらなんでも無理だったのだろう。腰を悪くし、整形外科の病院のベッドで腰から重りを吊り下げ牽引しながら横たわる姿が痛々しかった。しかし「休む」という言葉を知らない人だった。額にサロンパスを貼り頭痛をこらえながらでも、愚痴一つ言うでもなく、大きな声で叱ることもなく、いつもことわざで大切なことを気づかせてくれた。

匠 私達の仕事は業界では「床屋」と呼ばれていて、材料の一部を町の畳屋さんに藁の床を卸していた。よくイメージされるような肘で締めこむ仕上げ作業の畳店ではなかった。私達は畳床(藁で作られた台の部分)だけを関西方面の材料商に出荷していた。 時代の先を見ていたのか、西雄は喉頭がんを克服した後すぐに、畳製品を作る機械一式を買ってきた。「さあ~作れ。人が作れるのに作れん事ないやろ!」びっくりしたが、言い出したら聞かないのが西雄だ。左代子も「芸は身を助ける。習って損はない」と言う。 しかし、家の近くにいた職人さんに習いに行けば「せっかく苦労して覚えた仕事!教えられるか!」と突っぱねられ、他の畳屋からは「針を持った事の無い者がつくれるか」と冷やかな言葉を浴びせられた。

しかし生来の負けん気が勝った。「生まれながらの職人なんかいるか!」と配達にいった畳屋さん達に、見て聞いて仕事を覚えた。畳一級技能士に、そして金沢職人大学を経て、金沢匠の技能士になれたのも、あの時の悔しさがあったからと感謝している。

文:たたみの松本専務 松本隆

会社沿革
昭和37年2月 たたみの松本所 創業  
昭和62年4月 法人組織として変更 有限会社 たたみの松本 設立
平成62年6月 JIS表示許可取得 第487005号
中部、北陸地区 第 1 号(稲わら、稲わらサンドイッチ床)
平成3年4月 県内装仕上業許可取得
平成3年 コンピーター畳製造   大型機械設備導入
平成5年 コンピーター畳製造   大型機械設備導入
平成8年 コンピーター畳製造   大型機械設備導入
平成14年5月 エコマーク認定許可取得
平成17年9月 JIS工場を返上
平成20年 コンピューター式畳製造 小型機械設備導入
平成25年 畳製作一級技能士3名